祇園祭の由来や歴史。宵山の意味、前祭り後祭り参加するならどっち?

山鉾

7月になると京都三大祭りかつ日本三大祭りに数えられる「祇園祭」が始まりますね!

1ヶ月かけて行われる祇園祭。
期間も規模も凄いこのお祭りの由来や歴史。
宵山の意味や楽しみ方をご紹介します。

 

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祇園祭の始まりは?

祇園祭の始まりは869年の平安時代の初期をすぎた頃。
貞観11年のことですね。

この年には京の都だけではなく日本各地で疫病が発生し、
多くの死者や難民が発生したそうです。

これを「牛頭天王の祟り!」と当時の人は考え、
神泉苑という平安京の広大な土地の南端(八坂神社のある位置)に、
66本の鉾をたて、祇園社に神輿を送り疫病が治まることを祈りました。
■牛頭天王
インドのお釈迦様の生誕地である祇園精舎の守護神
日本では神仏習合によりスサノオノミコトと同一視されている
これが祇園祭りの始まりと言われています。
当時は今ほど豪華絢爛な山鉾ではなかったそうで、
毎年開催されるものでもなく、疫病が起こった時にのみ執り行われていたようです。

それが970年を境に毎年行われるようになってから、
神事に携わる者だけでなく町の人々も積極的に参加するようになってきました。

町の人々の参加により、
「お祭り」「ハレの日」としての特性が強くなり、
現在のような豪華な山鉾になっていったと言われています。

ちなみに869年には貞観地震という、
東北での大震災も発生
しています。

数年後には富士の大噴火があるなど、
この近年は当時の人々にとって散々なものであったと推察できます。
だからこそ神にすがるように儀式が行われたのでしょうね。

復活を繰り返し次第に変化する山鉾

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970年から毎年開催されるようになったとはいえ、
現代まで滞りなく毎年行なうことだできたわけではありません。

大きく中断してしまうのが「応仁の乱」の時。
1467年〜1477年という10年間の戦争の間、
三度の中断をすることになりました。

そしてこの戦争により京の都は焼けてしまい、
その後33年間祇園祭は行われませんでした。


復活したのは1500年のこと。

ここからより町の人々の影響が大きく出てくるようになります。
今まで以上に豪華絢爛になる山鉾。

この頃から中国やペルシャなどの異国の文化が加えられるようになり、
現在のような日本と異文化が混ざったような山鉾が見られるようになったそうです。

ただ江戸時代の三度の大火によりほとんどの鉾が焼失してしまうんですが・・・

 

復活をするのは戦後の1947年のこと。
立てられた山鉾はたったの2基でした。

現在に至るまで徐徐に復活していき、
今では33基の山鉾が見られます。

と、祇園祭はいろんな苦難を乗り越え1000年以上も続いてきた由緒あるお祭りなんです。

 

宵山の意味とは?

正直深く関わっていない者からすると、
「山鉾」とか「宵山」とか専門的な言葉が出てきてもチンプンカンプンですよね。

私は初めて宵山という言葉を聞いた時、
まったくイメージが湧きませんでしたもの。

でどういう意味かと言いますと。
「宵山」とは本祭の前夜に行われるお祭りのこと。

「宵」には日暮れから夜までのことを指す意味がありまして、
「山」には進んでいる物事のメインや本番という意味があります。

分解して見てみるとなんてことはない、
本番の前の夕方〜夜のことをそのまま指していただけでした。



 

ちなみに2014年から後祭りも復活しました。
今までは前祭りだけ山鉾が巡行したのですが、
7月21日〜23日にも宵山行事が行われ、24日に巡行するようになりました。

ただ後祭りのほうが巡行する山鉾の量が少ないです。

それに前祭りの宵山には歩行者天国や露店が出るんですが、
後祭りにはありません。


「祭りといれば露店がメインだろ!」派の人や、
お祭りらしい雰囲気をたのしみたい方は前祭りに行くことをお勧めします。

後祭りはその分前祭りに比べて人ごみが減るので(それでも混雑)
少しでも混雑を避けたい、山鉾だけでも見たいという方は後祭りに参加するのが良いかと。

 

祇園祭に行かれる場合はくれぐれも犯罪にご注意くださいね。
悲しいことですが人が多ければ多い程悪いことを考える輩が出てきます。

何かあってはせっかくのお祭りが台無しですからね。
女性の方は特に誰かと一緒にいくなり、何か対策をしておいてくださいね。

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